第一章:あこがれ

 渓流の水は今日も澄み渡り、ちょっとはにかんだ太陽が、さらさらと流れゆく水面を穏やかに照らしていた。ヤマメの群れは、めいめいの身体に刻まれた黒い斑紋を翻しながら、時に水面上にジャンプしては、木の枝の先に止まったカゲロウやカワゲラを捕らえ、一時的に空腹を満たす日々を送っていた。仲間うちではひそかに、誰が一番高くジャンプできるか、誰が一番水の外に長くとどまっていられるか、などを自慢しあっては、その後決まってこう言うのだった。「いやあ、ここから飛び出した外の世界の眩しいことといったら! あの頭上に高く高く広がる空の大きいことといったら! ああ、あの広い空を飛べたらなあ!」
 さらさらと流れる、冷たい水の何気ない愛しさにもなぜか飽きて、やっぱり彼らもまた、こんなに近くに見える未知なる世界への憧れを、ひそかに募らせていた。
 「そうさ、僕だって今にあの空を飛んでみせる」と、中でも誰よりも強くそう信じて疑わなかったのが、仲間内でも一番チビで、ちょっと気の弱い魚だった。名前はチキ。


はじめに
第一章:あこがれ

第二章:せせら笑いと月の夜
第三章:飛翔
第四章:リーダーチキ
第五章:ヤマメの銀河
第六章:人々
第七章:理(ことわり)

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